今回は下の巻の整理をします。
仁徳天皇 (16代) |
・応神天皇と中日売り命(ナカツヒメノミコト)の間に生まれた大雀命(オオサザキノミコト)。
・この天皇の次から皇位継承が複雑になる。 ・石之日売命(イワノヒメミコト)を皇后にするが、ここでの話しは、彼女の異常な嫉妬に関する事と、その目を盗んで行う仁徳の女好きの話が中心である。 ・もちろん灌漑用の池、住吉の港の構築の業績あり。 ・子供関係を整理すると以下の通りである。それぞれ波乱の生涯が待っている。 石之日売命(イワノヒメミコト)との間に オオエノイザホワケノミコト(後の17代履中天皇) スミノエノナカツミコ(弟、タジヒノミズハワケノミコトに殺害される) タジヒノミズハワケノミコト(後の18代反正天皇) オアサツマワクゴノスクネノミコト(後の19代允恭天皇) 髪長比売(カミナガヒメ)との間に オオクサカノミコ(男)(甥の21代安康天皇に殺害される) ワカクサカベノミコト(女)(後の21代雄略天皇の后) ・この天皇は83歳で崩御、御陵は河内の百舌鳥の耳原。いわゆる世界最大の古墳で大山古墳と言われている所。 |
履中天皇 (17代) |
・仁徳天皇の子オオエノイザホワケノミコト。 ・黒比売命(クロヒヒメノミコト)を后とし、3人の子を産む。 市辺之忍歯王(イチノヘノオシハノミコ・・(後に雄略天皇に殺害される) ミマノミコ 青海郎女(アオミノイラツメ又の名を飯豊郎女(イイトヨノイラツメ) ・弟のスミノエノナカツミコが反乱をおこし、天皇の殺害を計画するが、漏れる。 ・天皇はその下の弟、タジヒノミズハワケノミコトに指示してミノエノナカツミコを殺す。 ・64歳で崩御、御陵は河内の百舌鳥(堺市)。 |
反正天皇 (18代) |
・仁徳天皇の子、履中天皇の弟のタジヒノミズハワケノミコト。 ・市辺之忍歯王は天皇になれず。 ・四人の子を生んだ事、歯が長く大きかった事以外記述が無い。 ・60歳で崩御。 |
允恭天皇 (19代) |
・仁徳天皇の子、反正天皇の弟のオアサツマワクゴノスクネノミコト。 ・これで三代続いて仁徳天皇の子供が継承。市辺之忍歯王は天皇になれず。 ・この天皇の皇子達が、複雑な模様を繰り広げる。 ・オサカノオオナカツヒメを后として、9人の子をもうける。主な人は以下の通り。 木梨之軽王(キナシノカルノミコ・・四国に配流となる) サカイノクロヒコノミコ(弟に殺害される) 穴穂命(アナホノミコト・・後の20代安康天皇) ヤツリノシロヒコノミコ (弟に殺害される) 大長谷命(オオハツセノミコト・・後の21代雄略天皇) 軽大郎女(カルノオオイラツメ)他4人の女 ・新羅から船81隻が献上された。 ・この天皇の事蹟は氏姓制度の再確立とある。体が弱かったらしい。 ・天皇崩御の後、事件発生。すなわち皇太子の木梨之軽王と、同母妹軽大郎女との禁じられた恋が発覚。 ・木梨之軽王子は信任を失い、穴穂命に敗れ、彼は四国に配流、後を追った彼女との死、と言う悲恋物語。 |
安康天皇 (20代) |
・允恭天皇の子、穴穂命(アナホノミコト)。 ・天皇は、弟の大長谷命(オオハツセノミコト・・後の21代雄略天皇)の后に、仁徳天皇の子(叔母)のワカクサカベノミコトを貰いたい旨、その兄(叔父)オオクサカノミコに申し入れし喜ばれるが、根臣と言う家来が嘘の報告をしたため、誤解して叔父を殺害。 ・更にその妻ナガタノオオイラツメを奪って自分の皇后とする。 ・この皇后の連れ子の目弱王(マヨワノミコ)が、父の仇の天皇を殺害する。56歳で崩御。 ・これに対して、少年であった大長谷命は、兄二人に相談するが、二人とも相手にしてくれないので、兄二人を殺害。 ・軍勢を率いて、目弱王を取り囲み自害させる。(この時韓比売・・後の雄略天皇妃の名が登場) ・更に、従兄の市辺之忍歯王 (父 允恭の兄、履中天皇の子)を、言葉が無礼であると殺害。 ・この時、市辺之忍歯王の子供二人は播磨の国に逃げる。(後に23、24代天皇として登場) |
雄略天皇 (21代) |
・允恭天皇の子、大長谷命(オオハツセノミコト)。有名な気の荒い天皇である。 ・叔母のワカクサカベノミコトとの間には子供無し。 ・妃の韓比売(カラヒメ)との間に二人の子。 白髪命(シラカノミコト・・後の22代清寧天皇) 若帯比売命(ワカタラシヒメノミコト) ・女性を中心にした逸話が多くあり。赤猪子(アカイコノ)の歌、三重の釆女の歌、等。 ・葛城一言主之大神(国つ神?)の出現と、それを敬う話以外政治的記述はない。 ・彼の武勇は安康天皇の時代に語られる。124歳で崩御。御墓は河内の高鷲(羽曳野市島泉) |
清寧天皇 (22代) |
・雄略天皇の子、白髪命(シラカノミコト)。 ・この天皇は独身で、子供無し。皇位継承者問題が浮上。 ・ここに履中(17代)の孫、(市辺之忍歯王の二人の皇子・・父が雄略天皇に殺害された際に逃亡)が播磨の国に存命である事分かり、 彼らの叔母(同じく履中の子)、飯豊郎女(イイトヨノイラツメ)により救出される。 ・兄が意祁王、袁祁王(ともにオケノミコと読む)である。 ・当時の実力者、志毘臣(シビニオミ)を二人で殺害。 ・兄弟は共に皇位を譲り合ったが、弟の袁祁王が天皇となる。 |
顕宗天皇 (23代) |
・履中天皇の孫、市辺之忍歯王の子、袁祁之石巣別命(オケノイワスワケノミコト)。
・父の遺骸の発見と御墓の造営の逸話(置目の老媼の話)、逃亡の際邪魔した猪飼老人への復習話有り。 ・父の仇、雄略天皇の御墓を破壊する説話(少しだけ壊す話)。 ・近飛鳥宮(羽曳野市飛鳥)で8年在位。子供無し。 |
仁賢天皇 (24代) |
・顕宗天皇の兄、意祁王が皇位を継承。 ・春日大郎女(カスガノオオイラツメ)との間に男2人女5人。 ・その中の小長谷若雀命(コハツノセワカササギノミコト)が皇位継承。 ・女子の手白髪郎女(テシラガノイラツメ・・後の継体天皇の后)有り。 |
武烈天皇 (25代) |
・仁賢天皇の子、小長谷若雀命。在位8年。 ・子供無く、血筋絶えると思われた。(倭建命・神功皇后等の血筋・・応神天皇系) |
継体天皇 (26代) |
・応神天皇の5代の孫を、袁本杼命(オホドノミコト)を近江国より上らせる。 ・仁賢天皇の子、手白髪命(テシラガノミコト)を皇后とする。 ・合計19人の子が有るが、主な人以下の通り。 目子郎女との間に 広国押建金日命(ヒロクコオシタケカナヒノモコト・・後の27代安閑天皇) 建小広国押楯命(タケオヒロクコオシタテのミコト・・後の28代宣化天皇) 手白髪命(皇后)との間に 天国押波流岐広庭命(アメクコオシハルキヒロニハノミコト・・後の29代欽明天皇) ・筑紫のイワイが無礼である為、物部大連、大伴連に征伐させる。 ・古事記は、継体天皇の記述は非常に簡単である。 |
安閑天皇 (27代)〜 欽明天皇 (29代)〜 推古天皇 (33代) |
・古事記は子供の人名以外特に重要な記述無し。 ・27代安閑、28代宣化、29代欽明迄は、兄弟で継体天皇の子。 ・30代敏達、31代用明、32代崇峻、33代推古、迄は兄弟で欽明天皇の子である。 |
下の巻は古墳時代、倭の五王に時代とも関連します。又継体天皇に関しては、邪馬台国論争の中で結構専門家が扱っております。言い訳になりますが そのような事で、邪馬台国にはあまり関係の無い事を長々と書いてしまいました。ご容赦のほど。それに付けても、血で血を洗うすさまじい王権争いです。 尚日本書紀は、ご存知の通り 30巻(41代持統天皇)からなっており、それぞれの天皇記は古事記に比して、かなり多く記述されています。一方古事記は 顕宗天皇以降は非常に簡単になってきます。17巻の継体天皇記は特にその差が顕著です。この辺の事に関しては次回以降話を進めます。
何れにしても、かなり真実味のあるお話のようにみえます。しかしながら専門家の中には、何人かの天皇の存在を否定しておられます。(専門家それぞれでかなり異なりますが・・)すなわち33代の 天皇を全て認めるか、一部は架空の存在であるとするか、或いは一系列ではなく 一部並立していたとみるか等々の研究があり、なかなか複雑です。