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     前回は、専門家の記紀に対する信頼度合い、に関して話を進めてきました。信頼の度合いは異なりますが、記紀を参考にしながら邪馬台国問題を解決しようとしている研究内容のお話をします。
     
      各天皇の時代と存在の有無

     邪馬台国問題と結び付けるには、西暦で議論する必要があります。(魏志倭人伝の年月を信じるとして)そこで先ず、各天皇はいつ頃の人で、また本当に存在していたのか、と言うことが検討されています。 

        没年干支を中心として天皇の年代
     古事記に分注として書かれている没年干支については前回迄にお話しました。それでは各天皇は西暦何年頃となるのでしょうか。これにも諸説あり、多少の相違もありますが、没年干支を中心にした年代は以下の通りです。( )は資料によって異なる。
     

    代

    天皇 没年干支 没年西暦
    10 崇神 戊寅 318、(258)
    11 垂仁 ?  
    12 景行 ?  
    13 成務 乙卯 355
    14 仲哀 壬午 362
    15 応神 甲午 394
    16 仁徳 丁卯 427
    17 履中 壬申 432
    18 反正 丁丑 437、(438)
    19 允恭 甲午 454、(462)
    20 安康 ?  
    21 雄略 己巳 489
    22 清寧 ?  
    23 顕宗 ?  
    24 仁賢 ?  
    25 武烈 ?  
    26 継体 ?  
    27 安閑 乙卯 527
    28 宣化 丁未 535
    29 欽明 ?  
    30 敏達 甲辰 584
    31 用明 丁未 587
    32 崇峻 壬子 592、(591)
    33 推古 戊子 628
     

     崇神天皇に関しては、60年の相違があり、専門家の間でも意見が分かれています。但し、前述した通り、没年干支については、参考とはなるものの、全ての方々が信じてはおりません。信憑性が少ないとしている高名な専門家もおります。したがってここでは、単にこのようになると思ってください。

        倭の五王との関係
     空白の四世紀については、以前お話したと思いますが、西暦260年代を最後に、倭に関する記述が途絶え、その後五世紀になって、宋書に倭の五王の記述が現れます。専門家の間では古代日本史上で極めて重要な項目のようです。そこで、前述の没年干支とあわせて検討し、各天皇の時代を特定しようとしています。この五王に関しても、専門家の間では僅かな相違があり、一定していませんが、おおよそ以下のように結論付けられています。

     西暦266年11月倭人が朝貢した記録を最後にして、次に中国の書物に倭の記録が現れるのは、420年に建国した宋に対する外交記録で、宋書(最初の記録のみ南史)に以下の記録が残されています。 ( )の中の数字は没年干支による西暦年です。
     

     西暦年 記事 倭王名 該当天皇 説1 該当天皇 説2 該当天皇 説3
    413 朝貢 讚      
    421、425 朝貢 讚 仁徳(427) 履中(432) 応神(394)
    430 朝献、王名無し        
    438 讚死、その弟 珍 反正(437) 反正(437) 仁徳(427)
    443、451 朝献 済 允恭(454) 允恭(454) 允恭(454)
    460 朝献、王名無し        
    462 済死、その子 興 安康(?) 安康(?) 安康(?)
    477 朝献、王名無し        
    478 興死、その弟 武 雄略(489)   雄略(489)
             (上記二つの表は市販の書籍数種類から整理させて頂きました)

     各倭王が、どの天皇に該当するかは、上記のように幾つかの説がありますが(年度と没年に関する矛盾や、親子兄弟関係の矛盾がそれぞれありますが、専門家はそれぞれの考え方を述べています・・詳細省略)、説1が最も有力のようです。以上を総合してみますと、天皇とその時代に関しては『第 33代推古天皇から溯って、第16代仁徳天皇迄は没年干支に近いとしてよい』と言うことで大半の専門家が納得しているとみてよいでしょう。長々とお話しましたが、結局肝心の三世紀の年代については決定打が無いのが現状です。これを如何に推定するかという事です。

        天皇存在の有無
     問題はそれ以前の、天皇の年代と実在・架空の検討です。西暦400年前後を溯ることおよそ160年、邪馬台国の時代の卑弥呼と結びつく男王は誰が該当するのかを推測しなければなりません。その為には全ての天皇の存在を前提とすればある程度の結果が導き出せるのですが、これが残念ながら例によって色々な意見があるのです。おおよそ以下のパターンに分けられます。

      @ すべての天皇は原則として一系列で存在していた
      A 存在はしていたが一系列ではなく、二つの大王系列が並立していたものを後で繋げた
      B 第2代天皇から第9代は架空、第10代から第25代の天皇の内特定の天皇も架空
      C 第10代から第25代の天皇の内、没年干支の無い天皇は架空(応神天皇を含む複数)である
      D その他上記の混合説

     それぞれ、何故そのように考えるかの説明は、それだけで一冊の本になりますので、申し訳ありませんが省略します。天皇の平均在位年数等から推測するにしても、一部を架空とすれば、人数が変り、該当する天皇も変わってきます。結局、この問題を解く鍵は、 東征はどの天皇によって行われたかと言うことです。すなわち東征 が何時行われたかが重要なキーであるようです。東征の議論を通じて、何故上記パターンとなるのか、次回にお話します。
           



     今宵はこの辺で・・  


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