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用心棒日月抄に第五作あり?


 用心棒シリーズは、第四作『凶刃』で終わっていますが、たーさん流の解釈によれば、実はその続きがあるのです。
それは『三屋清左衛門残日録』なのです???。

 『凶刃』で大役を終えた後国許に帰り、殿の懐刀として働き信頼厚く、晩年を向かえ引退したのです。時に清左衛門、3年前に妻を亡くし、齢を重ね52歳となっております。

 ご存知の通り、『用心棒日月抄』の第一弾から第三弾『刺客』迄は、五代将軍綱吉の時代で、26歳から数年間の若き又八郎ですが、第四弾『凶刃』はそれから16年の歳月が流れ、八代将軍吉宗の時代となり青江頭取も40代半ば。

 その後側用人を勤め、国許に帰って数年、藩のために尽力し、遂に引退ということになりました。お陰で殿の覚えよろしく、その功に報いるべく、別棟を建てなさいというありがたいご配慮を頂いたというわけです。若い頃、藩のために非常に苦労した青江又八郎に対する処遇としては当然のことなのです。

 ゆえに私的には青江又八郎すなわち三屋清左衛門なのです。『三屋清左衛門残日録』を今一度読むときは、『凶刃』の終わりの部分を読んで、その余韻があるうちに入りますと、一味違った『残日録』になること請け合いです。(陰の声・・そう思うのはお前だけだろう・・)

 佐知が登場しないのはなぜかですって!。帰国後は由亀一筋、国許で尼になった佐知とは心を鬼にして一切のかかわりを持たず耐えているのです。しかし佐知は形を替えて登場しているのです。それは『梅咲くころ』に出てくる『松江』です。(これはかなり、いや相当に無理がありますが許して・・)江戸屋敷で自害を図った女性を清左衛門が助け、強く生きなさい、と諭したあの女人です。江戸で命を助けた女という設定で、佐知の代わりに形を替えて登場しているのです。

 由亀に申し訳ない、という気持ちが(佐知はあの時代の、江戸でだけの妻なのだ)佐知を登場させないことにしたのです。したがって『 青江又八郎残日録』とあるべきところ、『三屋清左衛門残日録』としたのです。(うそをつけ・・)
定年退職後、現役時代の肩書きが忘れられず、昔の名前や地位を使いたがる凡人と異なり、別の名前で登場するなんて粋じゃ〜ないですか。(三屋としたのは、藤沢さんが女子のバレーボールが好きだったから・・・これは大嘘)
細谷も登場しているのです。『高札場』に登場する『安富源太夫』です。(単に名前が同じだけじゃないか・・・こじつけです)

 周平小説の新作はもはや永久に現れません。悲しいです。
だからこんな読み方で新しい作品に出会った気持ちになっているたーさんです。
とは言っても、実は『凶刃』の方が後から出版されていますから、以上は全くの戯言です。

 それにしても『刺客』が81年で、『凶刃』は89年の発表ですから、ずいぶん間が空いた作品で、正直のところ個人的には多少の違和感を覚えます。76年用心棒日月抄78年孤剣81年刺客と連載し、全体的な雰囲気では一旦これにて完了と考えても不自然では無いような気がします。そして左記の作品とは全く無関係に、初老の心境を描いた『三屋清左衛門残日録』を85年に発表。その結果、この間を埋めるものとして『凶刃』を書かれたのではないか。全くの邪推にして下衆の勘ぐりですがそんなことを勝手に考えています。戯言とは言いながら『用心棒シリーズ』が『三屋清左衛門残日録』に繋がると勝手に考えていることは、私にとって偽りのない思いです。そういう意味で、多少違和感のある『凶刃』という作品の存在が明確に理解できるのです。

戯言を書きました。藤沢先生、平に平にご容赦の程・・・



ご意見その他は  たーさん  迄