murmur

梅雨のひととき


1999年7月15日 曇り

 ここ4日ばかり雨である、それも豪雨である。全国で多くの犠牲者があった、悲しいことである。まして小さな子供が犠牲になるのはなお更である。

 こうなると、晴れた空が恋しくなる。そう言えば昨日マキが面白いことをいったのを思い出した。

 堀江健一(20年ぐらい前、ヨットで単独太平洋横断を行った有名な人)が還暦を記念して、サンフランシスコからヨットで航海する時の話をだった。
 出発の時に、堀江健一さんが「初めて太平洋横断を達成した時も日本晴れだった。今回もこの素晴らしい”日本晴れ”の日に出港出来てうれしい・・」といった風な話をしたらしく、マキが奇異な感じを持ったという話である。

 「サンフランシスコなのに日本晴れとは・・・??? 日本の土地で晴れるから”日本晴れ”という表現に実感がこもるというものではないのか? サンフランシスコに居る人に、その表現が通用するのでしょうか???」というのがマキの言い分である。

 まあ、それはそれにしても、「日本晴れ」とはどんな天気なんだろう、私見では雲一つない晴天を意味していると思っている。ここらの人に聞いてもそんな風なことを言っている。(日出国・国旗のように太陽だけの空を連想した)

 ある御仁が広辞苑・各種辞典で調べてくれたが、そのような言葉が無いというのである。慣例的に使用されている言葉がないとは、結構不思議な気がする。その御仁は、平凡社のデジタル百科事典でキーワードで検索してくれてこんな話をしてくれた。

「伊賀越道中双六」(いがごえどうちゅうすごろく)
作の悲痛な告白や、股五郎の行方をそれとなく知らせる十兵衛の幕切れのせりふ、また、後者においては儀のために苦難に耐え抜く政右衛門の男らい姿などが、観客に深い感銘を与えるものとなっている。なお前者の両花道を活用した演出も効果的である。
・・・・・
以後、近世における伊賀越物はおおむねこの2作を基盤にするものとなっていった。なお明治以降では、1880年(明治13)3月東京新富座の河竹黙阿弥作≪日本晴伊賀報讐(にっぽんばれいがのあだうち)≫が団菊左の顔合わせで評判をとっている。→伊加の水月(原道生)

 ここにしか出ていないので、これが語源なのかも・
 それにつけても今年の梅雨の雨は激しい・・・・


(無断転写を禁ずる、参考にならないと思うが・・・)